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澤地萃 たくちすい

●鯉龍門に登るの象

こいりゅうもんにのぼる

 卦名の萃はアツマルと訓ずる。上卦の兌を澤とし水潤の地とし下卦の坤に衆多(しゅうた:多いこと)の意あり、澤地下水の集まり合うところは水潤濕厚であるから、草木繁茂し魚類集まり棲息す。それに依って萃と名付けたのである。又此の卦には鯉の畵象(がしょう)がある。それは上爻の一陰は鯉の口で五爻四爻の二陽は鰓(えら)を張った象、そして三爻・二爻・初爻の三陰はその鱗の多いところと尚尾の象がある。

 龍門というのは、支那の地名である。又の名を河津(かしん)という。その昔、禹(う)洪水を治めた折に開掘した處である。支那の古書に鯉が穴を出でて三月河を上り龍門を渡るのであるが、その際、無事龍門を渡ることができたものが龍となり、渡り得なかったものは額を(てん)じて還るとあって、これが故事となって支那では科挙に及第して出世することを登竜門といい、科挙に落第することを額と称するのであって此の卦の第五爻の中正の賢君と四爻の賢徳ある大臣とに万民皆悦んで順(したが)い集まり楽しむところから卦名を萃といい鯉龍門に登るの語をかけたのである。

 

 

禹:中国古代の伝説的な帝で、夏朝(かちょう)の創始者

●妓歌い衆従うの意

ぎうたいしゅうしたがう

 妓とは、上卦兌の象で歌い女のこと下卦坤に衆多及び柔順の象がある。現今では妓を芸妓娼妓などと熟字するけれど、古くは女子の音楽をなすものを妓と称したのであって、宗廟(そうびょう:祖先,特に君主の祖先の霊をまつった建物)で祭祀を営む際に廟前で音楽を奏したのである。女子が美しい聲(こえ)で歌うのは人の心を和らげ大衆は悦ぶものであるが、君主が民の悦ぶ政治を以て民を順はしめる意を妓歌い衆順うの語に喩えたのである。