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雷天大壮 らいてんたいそう

●猛虎角を生ずるの象

もうこつのをしょうずる

 乾を下とし震を上にする卦である。乾は剛であり震は動く故に此の卦を大壮と名付けた。消長からみれば、地雷復→地沢臨→地天泰→雷天大壮となったのであって、此の大壮は四陽の勢い猛(たけ)くして将(まさ)に五爻上爻の二陰に迫りやがて沢天夬となり遂に乾為天の純陽壮んな卦に至らんとするから大壮と名付けたのである。下卦の乾に猛虎の象があり上卦の震に角の象がある。これ猛虎角を生ずである。

 

 元来獣類(じゅうるい)に角、牙、爪などのあるのは敵と闘うときの武器である。此の武器があって敵の侵害を防ぎ又他の鳥獣を倒すこともできるのであるが、天は二物を與(あた)えず牙あるものには角はなく、角あるものには鋭い爪はないのが普通である。虎の場合では、他の強敵と闘うに充分である鋭い爪を有っているのに、なお若(も)し角を生ずるならばその猛勢いよく激しくそのため反(かえ)ってその身を誤り進み過ぎて危うきに至らむというのである。

●錦を衣て夜行くの意

にしきをきてよるいく

 此の語句は史記のうちの楚(そ:春秋戦国時代の国)の項羽の故事を引用して猛威に過ぐるは反って身を亡ぼす基であると戒めたのである。秦が滅んだ直後は楚項羽の勢い盛んで遙かに漢の高祖を凌ぎ咸陽に都して覇を唱えていたので漢の謀臣張良は項羽が咸陽に都しているのは漢王のために不利であるから謀計を以て項羽を彭城(ほうじょう)に帰らせようと城下の子ども達に次のような歌を謡わせたのである。

 

『壁を隔てて鈴を振る、只其の声を聞くと形を見ず、富貴にして故郷に還らずんば、錦を衣て夜行くが如し』と此の歌を聞いて項羽はこれ天の自分に告ぐるの言葉であると信じて兵を収めて東に帰った。これが動機となって漢のために敗られ遂に鳥江(ウコウ)というところで自刎(じふん)して死んだのである。若し項羽が自分の武勇に慢することなく忠臣范増(秦末期の楚の参謀)の謀を用いたなら、おそらく劉邦も漢家四百年の基は築き得なかったであろう。猛威に過ぎ増長慢の結果が此の蹉跌(さてつ:事が見込みと食い違って、うまく進まない状態になること)を招来したのである。