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雷風恒 らいふうこう

●並び行き相背くの象

ならびゆきあいそむく

卦名の恒はツネ又ヒサシと訓ずる同じツネと訓ずる常は事物の変わらないことをいい、此の恒は事物の変化して已(や)まず恒久なるをいう。一日には昼夜の変化があり、一年には春夏秋冬の変化がある。然し此の変化は千古(せんこ:太古から現在にいたるまでの間)恒久なのである。そこで彖伝(たんでん)に『天地の道は恒久にして已まず、往く攸(ゆう)あるに利し、終われば則ち始め有り、日月天を得てよく照らし四時(よつのとき:四季)変化してよく久しく成る。聖人その道に久しくして、天下成す』といって恒の真義を明らかにしたのである。又上卦の震は雷で下卦の巽は風である。そして震は東、巽は東南に配し、時候としては新の三、四、五月の候で、即ち雷声を発し始めて電すという季節で陽気発生して萬物之より暢(の)びんとする時期である。雷は陽気の動きである。風は陰気の動きである。(震は一陽下に動き巽は一陰下に入る)それで震雷の振い動くときは巽風起こって萬物をゆすぶる。これが即ち並び行くである。然し忽(たちま)ちにして風行は西し、雷鳴は東すれば、これ相背くである。此の卦を人事に当て嵌めていうならば震の長男と巽の長女が新家庭を作り、震の長男は外に振い動き巽の長女は内に斉(ととの)い順う。これ夫婦相和し家庭円満であるから即ち並び行くである。然し長い年月の間にはそう円満であるばかりにはゆかず、時には互いの意志に相反することが生じて、玆(ここ)に家庭争議が起こる。これ相反しである。そのような夫婦間の変化も男は外に振動し、女は内に巽順であれば、その道は恒久なることを得るのである。

●咎めなく誉れなきの意

とがめなくほまれなき

前の沢山咸の卦の場合は、男は女に下って、これを迎えて玆に婚姻調って夫婦となれば、震の長男は上に位し、巽の長女は下にいる。夫は外に在って業務に努力し、婦(おんな)は内に在って家政を斉えるのは人倫の常道であり、一家恒久の道であって、そのことは別段こと新しく取り立てて毀挙することではないし、よしんば並び行く相背くの家庭争議などが時々起こっても、それ亦それは家庭に於ける四時の変化に伴う風や雷の如きものとして雷風一過後は何事もなくなれば、これも亦咎めなく誉れなしで、その家庭は矢張(やはり)恒久たり得るであろうとの意を以てかけた語句なのである。