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天雷无妄 てんらいむぼう

●雷暑にあって震うの象

らいしょにあってふるう

 雷下乾上の卦である。上卦乾は純陽で旧四月に配する。下卦の震に雷の象がある。卦名の无妄はミダリなきなりで妄(みだ)りなきとは即ち至誠(しせい:きわめて誠実なこと)の意である。一点の妄りなきは即ち至誠であり、又天道である。天道は誠に萬古(ばんこ:遠い昔)に亘って妄りなきもので、春夏秋冬の移り変わり昼夜の循環少しの狂いもなく萬古に亘って流れ動いて止むことがない。これ至誠无妄の姿である。人道に於いても若し一点の妄りながないならば即ち天人合一の新誠の境地であるが、然しその様な境地に達することは、聖人君子に於いても尚且つ難しとするところ故、まして凡人の到底期待し得ぬところである。殊に敗戦日本の現在の悪世相の中で、天人合一の境地に達する如き行いの人など望み得べくもないのである。

 

 此の卦は、上卦に剛健な乾天があって、それに壓(お)せられるにも拘わらず、下卦の震が妄動して災に遇う象である。そこで彖伝(たんでん)に『正に匪(あら)ざれば、眚(わざわい)あり、往く攸(ところ)あるに利しからず、天命祐けず、行かむや』といっているのである。雷暑に逢って震うというのは、純陽旧四月の候に初雷が鳴るのは気候の順潮である表示で、それは即ち順にして妄り无きである。若しそれ冬の寒中に雷が鳴るならば、それは気候不順逆であるから无妄でなくて妄りである。

●石中玉をつむの意

せきちゅうたまをつむ

 上卦の乾を堅い石とし、下卦の震を宝玉とする。これ石中玉をつつむの象である。此の卦は天道の循環に順い、自然の成り行きに任せれば良い結果を得られることを強いて我意利慾を以て妄りに押し進むときは災いに遇うという意なのである。その意を表示するために、十八史略から「和氏連城(かしれんじょう)の璧(へき)」の故事を引いて、石中玉をつむという語句をかけたのである。即ち和氏が時機の到来を待たずに急にその玉を世に顕さんとして刖(げつ:足を切る刑)刑の災厄に遇ったことを引用して妄動を戒めるために冒頭の語句をかけた訳である。

 

※和氏連城の璧:楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の左足を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は右足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて33晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。そののち、宝玉は趙の恵文王の手にわたり、秦の昭襄王が自領にある15の城と交換に入手しようと持ちかけられた。しかし、秦が信用できるかどうか悩んだ恵文王は藺相如を秦に送った。命をかけた藺相如の働きにより、約束を守る気の無かった昭襄王から璧を無事に持ち帰ることができ、「璧(へき)を完(まっとう)ことを「完璧」と称するのは、そのためである。また、15城もの価値がある璧だと「連城の璧」と称されるようにもなった。