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山地剝 さんちはく

●鼠倉廪を穿つの象

ねずみそうりんをうがつ

 消長卦である。四月純陽の卦乾から五月一陰生じて天風姤となり、六月天山遯→七月天地否→八月風地観→九月山地剥となり、次は純陰坤為地となる。即ち此の卦は陰漸(ようや)く長じて陽を剥落せむとする象でその有様を喩えて鼠倉を穿つといったのである。上卦の艮に鼠の象あり、下卦の坤に倉(穀藏)(米藏)の象がある。鼠が穀藏米藏に穴を穿(は)けた此の小動物が盗み食いする位の米穀など洵(まこと)に知れたものではあるけれど、然しそれが長い歳月にわたるならば全倉庫の米穀も遂に食いつくすであろう。それと同じで一陰下に生じた天風姤(旧五月)の気節は夏至で、その夏至から日脚は一日一日僅かづつ短くなってゆくのであるが、然しそれは暦の上のことであって、実際には人々は七八月の酷暑に苦しむで誰も此の日脚の短縮することなどに気は止めないのであるが、やがて風に木の葉の散り落ちる旧九月(剥卦)の秋の訪れに遭って、さすがに夜の長くなったのに気付き、はじめて日脚の短きに驚くのである。彖伝(たんでん)には『小人長ずるなり。順にして而して之に止まる。象を観ずればなり。君子は消息盈(えい)虚を尚う。天行なり』とあって、これは小人長じて君子を剥盡(じん)せんとする際、故に君子は順にして止まらば(下卦坤は順・上卦艮は止)その身を全うすることができるであろうというのである。

●舊きを去って新しきを生ずるの意

ふるきをさってあたらしきをしょうずる

 剥卦は物の剥盡する卦故、古きを捨て去る意があり、物その極に至らば復初めに帰るのは易理の示すところであって、これ即ち陰陽消長の顕れである。その陰陽の消長を最も切実に身に感ずるのは四季の移り変わりである。冬来るならば春遠からじ、落葉した樹の枝には既に来春の芽生えである新芽の支度が調っているのである。それと同一で此の剥卦の上爻の一陽が剥落するときは同時に下初爻に一陽生じて地雷復の卦を形成する。これ故に舊きを去って新しきを生ずるの意が此の卦に含まれているのである。