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山風蠱 さんぷうこ

●門内賊有るの象

もんないぞくある

巽下艮上の卦である。巽は風、艮は山である故、下卦の風が上卦の山の草木を吹き壞(やぶ)る象から蠱と名付けたのである。蠱は壞(やぶ)るである又艮を門とし巽を賊とするから、門内に賊あるの象といったのである。此の卦は巽の長女、艮の少男を蠱惑(まどわす)する故に、その家は女より乱れて家産破壞する象とみる。即ち外敵は防ぎ得べきも内賊は防ぎ難きの意味である。此の蠱の字に就いては、序卦伝には『蠱は事なり』とある。即ち蠱は治と同義になる。そこで眞勢中洲は此の卦を説いて「其の事の蠱壞したるものを修治回復するのは事の最大なるものなり」といっている。敗戦日本の現在が即ちこれである。これが此の卦の常道である。一方、占噬的には、此の卦、蠱字は皿の中に三匹の虫あるところから、蛇と蛙と蛞蝓(なめくじ)の3つが互いに睨み合っている意と解し、門占者の家庭の人達が、丁度、貧(とん:むさぼり・必要以上に求める心)、瞋(じん:怒り・憎しみ・妬みの心)、痴(ち:おろかさ・愚痴・無知)の心の三毒のために悩むとみるのである。

 

 

※眞勢中洲(ませ ちゅうしゅう):江戸時代中期-後期の易学者。新井白蛾(はくが)にまなび、大坂で占筮(せんぜい)を業とした。

●石上蓮を栽ゆるの意

せきじょうはすをうゆる

 上卦艮に石の象あり、下卦巽は坎の半体故、坎の様に水気充分ならずとみる。又互体(三、四、五爻)に震あり、震は花の開いた象がある。即ち蓮は水中に生ずるもので水を離れては生命がない。その水気ある處に開くべき蓮の花が水気なき石上に開いた象より、石上蓮を栽ゆとの語句をかけて、巽の長女、艮の少男を誘惑し少男は長女のために惑乱されて、その身を修むることが出来ず遂に家を蠱ること恰も石上に蓮の生き難いのと同じであると訓(おし)へたのである。