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雷地豫 らいちよ

●雷地を出でて奮うの象

らいちをいでてふるう

 震上坤下の卦である。上卦は震雷、下卦は坤地である。此の卦は、元来、地雷復より来た卦であって、即ち地雷復のときは上卦坤地の下に下卦震雷があるから震雷は地中に在る象であるが、ここで雷地豫ととなると震雷地上に出でて震う象となる。そこで冒頭の語句をかけたのである。易では、此の震を春陽の気とみる場合が多い。そして方位は東に配するし、四季は春を配する。此の震の春陽の気は、乾天これを施し坤地これを受け百花草木はこれを資って繁茂し、禽獣虫魚(きんじゅうちゅうぎょ)はこれによって生々(いきいき)発育する。その春陽の気を乾天が施す状態は、これを見ることは出来ないけれど、地上の萬物が、春が来れば生育繁茂することによって、これを感知することは出来る。春陽の末、初雷の鳴る頃ともなれば百花は美を競い、新芽は緑濃くなり鳥は歌い、虫は穴より出て、地上の生きとし生けるもの皆生気に満ちて悦び楽しむ。此の自然現象から此の卦を豫と名付けたのである。

●行止時に順うの意

こうしときにしたがう

 行はユクで、上卦の震の象、止はトドマルで互体艮の象である(四、三、二爻)。これは進むべきときには進み、止まるべきときには止まるということである。元来、此の卦は、雷地を出でて奮うの時であり、又、彖伝には『侯(きみ)を建て師を行(や)るに利し』ともいってあって、少なくも止まる意味はあり得ない様に思われるのであるが、それに就いて行止と「止」の字をも加えて、時に順うがよろしとの語句をかけたところに深く味わうべきものがあり、亦、白蛾の偉さ判るのである。我々が人生という長い路を旅するには、時に山坂あり、時に平坦な道あり、そして暴風雨の日もあり、風静かな小春日和もあり決して容易な旅ではないが、だから行くべきときは行き、止まるべきときは止まることが処世上、最も大切な要件となるのである。『機會(機会)』は、前髪の後、坊主といわれるから、行くべき機會に際して徒(いたずら)に因循(いんじゅん:思い切りが悪く、ぐずぐずしていること)姑息(その場しのぎ)尻込みしていては成功は覚束(おぼつか)ないし、反対に徒に猪突猛進(ちょとつもうしん:目標に対して、向こう見ずに突き進むこと)して意外の失敗災難を招く愚も避けなければならない。即ち進むも退くも、その時機に適することが肝要なのである。艮為山の卦は、真の自由とは一切の欲望を拒否し一切の欲望から解放された境地であると訓(おし)えるのであるが、その艮卦の彖伝に『時止まれば則ち止まり、時行けば即ち行く、動静其の時を失わざれば其の道光明なり』と説いてあるし、此の雷地豫の卦には彖伝で『順にして以て動くは豫なり』といってある。又曰く『天地は順を以て動く、故に日月過(あやま)たず四時(しじ)たがわず、聖人順を以て動けば則ち刑罰清うして民服す』と、此の「順を以て動く」とは上卦の震は動き、下卦の坤は順うの意味であって、その動くということは静から発し、進むということは止まることから起こることであるから、即ち順を以て動くというがとりもなおさず行止時に順うということになるのである。