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天澤履 てんたくり

●尊卑分定まるの象

そんぴぶさだまる

 履は禮(れい)である。序卦伝に『物畜えて然る後に禮あり。故に之を受くるに履を以てす』とあるが、即ち衣食足って禮節を知るの謂である。此の卦の上卦は乾天であり下卦は兌澤である。乾は天にして尊く、兌は澤にして卑し、尊いものは上に在り卑しきは下に在る。これ尊卑分定の象である。序卦伝に『履にして而して泰 然る後に安し故に之に受くるに泰を以てす』とあって、禮なるものの重要性を説いて居る。上に居るもの下を侮ることなきは尊き者の禮であり、下に居るもの上を敬うは卑しき者の禮である。上下各々禮を守って其の定まった分際を越えることなければ、國は安泰に家も安泰なりというのである。

●虎の尾を履むが如しの意

とらのおをふむがごとし

 彖伝に曰く、「履は柔剛に履まるるなり。説(よろこ)んで乾に應ず。是を以て虎尾を履む。人をくらわず」とあるところからかけた語句である。上乾に虎の象あり。履むとは後からついてゆくことであって柔弱な兌が剛強な乾の後からついてゆくことであって、柔弱な兌が剛強な乾の後からついてゆく象を謂うのである。柔弱な兌が剛強な乾の後からついてゆくのであるから、恐ろしい思いがし不安であるが、兌の柔を以て上の乾を敬い之に和順するときは、その心配を免れて、よく履みゆくことを得るのである。履は禮なりと云っても此處(ここら)にいう「禮」と所謂、日常生活上に於ける形式的な儀禮的行動を意味するのではなく、孝経に禮は敬のみなりというその「敬」のことである。即ち「敬」とは慎みのことであって、それは日常の行動すべてを慎むばかりでなく、その人々の業務志望等にも此の敬-慎むということを体得する必要があるのである。洵(まこと)に人生は此處にいう虎の尾を履むが如きもので、慎みを忘れて一歩を過るときは不測の危難に遭遇して遂に再起不能に陥るに至るものが多いのであるから、常住坐臥(じょうじゅうざが:いつも)、恰(あたか)も虎の尾を履みその食われんことを惧(おそ)れる如き「敬」を主とする禮誼的観念を忘れることなくば、即ち序卦伝にいうところの履にして泰、然る後、安しである。

 

 

※孝経(こうきょう):中国の経書のひとつ。曽子の門人が孔子の言動をしるしたという。十三経のひとつ。