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山水蒙 さんすいもう

●巖険雲烟の象

がんけんうんえん

 坎下艮上の卦である。下卦坎に渓水(けいすい:谷川の水)の象、上卦艮に巖山(がんざん:険しい岩の山)の象あり。巖山と渓水の自然風景として、渓の霧は上って山を覆い山の雲は下って渓(たに)を隠す。此の情景は即ち蒙昧の意になる。故に蒙と名付けたのである。又巖はイワオを訓じ石山をいう。険はケワシと訓じ、又元は巖険共に同意義に通用したが艮の卦にこの巖険の象がある。又雲煙というのは雲霧が烟(けむり)の如く立ち上る形容詞で即ち坎卦の象である。卦名の蒙はクラシと訓ずるが暗の字のクラシとは異なって、雲烟濛々(もうもう:煙が立ちこめるさま)としてとして一寸先も定かならねど、然し暗夜のクラサとは異なって、これは朧気(おぼろげ)ながら四囲(しい:まわり)の形状は観取し得られるクラサである。又此の卦の蒙は童蒙(どうもう:幼くて道理がわからないこと)の義であって、前の屯卦を赤子の出生とすれば、此の蒙卦は稍(やや:少し)成長した童蒙とする。少年には物を観取する能力はあっても事理を識別する能力はない。その事理に暗く分明でないのは即ち巖険雲烟の象と通ずる。その雲烟もやがて一度散消したならば、そこには麗しい自然美が展開されるであろうし―此の点が此の卦の判断上の眞穴である。眞勢中州も此の卦を以て、始めは朦朧として後には著明なる意といって巖険を覆える雲烟のやがて霧消する時期あることを説いているし、又蒙の難(かた)みは難(かた)むべからざるに艱(なや)む。これ蒙昧の甚だしき也と謂っている。

●花を生じて未だ開かざるの意

はなをしょうじていまだひらかざる

 便道(べんどう:便利な道)の此の句の解釈に曰く「花は莟(つぼみ)のときは内に美があっても花の赤か白かは量り難いが、後時が来て開くときはじめてその美を顕すのである。人も生まれて幼い時は内に智あっても外に発せず然し日々に智を発(あば)き亦師に就き人に教育されて後、その智ますます顕れると謂っているが之が此の句の本意である。